鈴木志郎康の新しい詩

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嫌われてるね。

嫌われてるね。




呼び出された。
もう既に、彼は来ていた。
古いつき合い、端的に言って、黒い人。
皮膚の色ではなくて、
彼という存在が実体を持たない闇の塊。

テーブルを挟んで、
正面をずらして、斜め前に座る。
「嫌われてるね。」
腰が収まる間もなく男が言った。
応えようがない。

バーの隅の丸テーブル。
いつもは五つの椅子が、今は三つ。
二脚は、向こうのカウンターの余りの空間で、
若い女の二つの尻を支えている。
女の斜めの顔が、隣に向かい何か真剣。言葉は聞こえない。

黒い人は何も言わない。事態は事態だから。
わたしも何も言わない。見抜かれているから。
沈黙ということではない。
言いようもないから、応えようもない。
向き合って、視線を外し、巡らし、戻す。

「嫌われているね」の一言で終わった。
彼、わたしから見て黒い人、闇のかたまり。
わたし、彼から見て黒い人、闇のかたまり。
丸テーブルを挟んで、黒々と対面している。
狭いバーの中、丸テーブルは既にぽっかりと空いた深い井戸。

彼がコップを置いた。
その手元から引き取った言葉を飲んだ。
また、わたしの視線から、彼は言葉を手放した。
光の射さないこの心底を澄ます。わたしらは、
互いに向き合って透明な闇の塊りまま、一時を過ごす。

「抒情文芸」89号1999年1月掲載
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