(Japanese only)
[ 総目次に戻る to the Table ]
[ 極点思考・目次 ]

ホームページの表現で、早くも壁にぶつかる


 インターネットに自分のホームーページ開いて、二年半経って、日常化して、繰り返しをやっている気分になってきた。そろそろ飽きてきたのかとも思うが、そうではなく、ホームページの表現は何か違うぞ、という思いも一方にある。最初の一年は珍しさと期待とがあって、熱心に内容を増やしてきたが、最近ではその中の身辺雑記を書いた「曲腰徒歩新聞」というページの記事を一週間に一度更新するぐらいになってしまった。訪問者は、一日に二、三十人ほどで、現在、わたしのホームページのヒットカウント(訪問した人の数)は二万七〇〇〇を越えている。わたしの詩集の読者の数より圧倒的に多い。この今までのわたしの詩の読者とは違う人たちの存在が、これは違うぞ、という思いを起こさせる。

 平たくいえば、自分のホームページとのつき合いで、壁にぶつかったということらしい。その辺りのことを考えてみたい。インターネットにホームページを開くということは、世間的には「情報発信」と言われているから、個人の場合は「個人の情報発信」ということになるが、その「個人の情報」の内容が先ず問題になる。大抵の個人のホームページには、その人が関心を持っていることや自分自身についての当たり障りのないことが書かれている。わたしもその例に漏れない。たとえば、こんな具合。

1998年9月14日「定年退職した友人たちと会う。」
 この8月31日、37年勤めた博報堂を定年退職した、大学時代からの友人高野民雄さんが声を掛けて、先週の土曜日、親しい友人四人が四谷4丁目の「金吹」という飲み屋に集まって歓談した。6時半頃、ということだったが、その前に四谷2丁目のイメージフォーラム付属映像研究所の教室で夏休みの作品講評をやっていたわたしは、6時ちょっと過ぎには「金吹」に着いてしまった。友人たちが来るまでの20分ほど、一人でビールを飲んでいた。初めての飲み屋で、一人でビールを飲むなんて、(酒をたしなまないわたしには)生まれて初めてのことだった。所在ない時間というもの、これも久しぶりのことだった。

 話題は、定年後の収入、つまり年金やら失業保険やらのことが最初。次が学生時代に4人が所属していた「仏文研」、早稲田の「フランス文学研究会」のこと。学友たちのその後の消息については、四人の間では不明なことばかりだった。勤め先が違って、それぞれ勤め先のつき合いの中で生活することになるのだから、それは当たり前といえば当たり前。だから、勤め先が無くなると学生時代の起点に戻って、関係の回復というところに心が向かうのだろう。

 高野さんは、職場の関係者に配ったという「私の仕事目録/高野民雄1961-1998」という小冊子を持ってきて、わたしたちにもくれた。自分が担当したテレビ・ラジオのCMの番組が20ページに渡って細かく記録され、その年その年の彼が作ったという「忘年会」のチラシの図版が入っていた。「ユンケル黄帝液」とか、「ミツカン味ぽん」とか出てくると、「あれ、高野がやってたんだ」なんて思った。高野さんは、学生時代から詩を書いていて、「凶区」という同人誌にも私といっしょに参加いていたので、今後は別に勤めないで詩を書くことに専念したいと言っていた。会社での自分の仕事の目録を作ったり、定年後に詩に専念するというような考え方は、わたしの考え方とは違うなあ、と思いながら聞いていた。

 昼間のイメージフォーラムの生徒の作品に、定年後毎日のように近くの川で魚釣りをしている人を撮ったものがあって、そのおじさんは毎日を新しくいきるために釣りをしていると言っていた。そういう人と若い人との心の接点が面白いと思ったのだった。昨夜は昨夜で、NHKテレビで定年後、東京から静岡の農村に引っ越して新たに農業を始める人たちを紹介していた。そういう人がどんどん増えていくと、社会の様相が変わって行くなあと思う。
BR>  ここでは、定年という広がりのあることに、わたしと友人の「私事」を結びつけて語ってみた。この記事には三つのメールが来た。「凶区」の高野民雄について、彼の「仕事目録」について、また昔日の「仏文研」について。一般的でないところに、読者の関心が結ばれて行くのが面白いと思った。インターネットは情報交換の場だ。読者は出会った所から自分に向いた情報を引き出していくことになる。つまり、わたしが書いた日記のような文章に対しても同様になる。勿論、わたしの方も小さな「個人情報」の発信をしたというわけ。問題は、わたしが何を書いても、その情報の「発信─受信」の枠の中にはまってしまうということだ。それはそれでいいけど、それだけでは、何だかつまらなくなって、飽きてきたというわけ。

 考えてみると、わたしは「曲腰徒歩新聞」によって、自分の生活の一部をホームページ上で情報化していたということなのだが、文章を綴って発表するということには、もっと違うものを求めていたように思える。二年ほど続けて、自分だけの関心事、たとえばコンピュータのトラブルなどの細かなことについて書くと、それがまるで通じないことも分かった。雑誌とか新聞の記事だと、自分の関心事の子細な所にはのめり込めない。そこでは読者との接し方が決まっているが、ホームページにはそれがないから、個人の子細にのめり込み、読者からの受け止められ方が掴めなくなる。つまり、表現者として自分が見えなくなってしまう。言葉の跳ね返りが、活字媒体の場合と異なり、書く方としては何処に焦点を定めるかが難しいことになる。個人は一方では専門家だが、生活者としては只の人なのだ。「個人の情報発信」となると、それが重なって分からなくなる。

 活字媒体では、媒体と執筆者の関係では一応専門家なわけで、そこでの立場ははっきりしている。ところが、そこが曖昧だと、文章それ自体の意味が揺れてくる。先ほどのホームページの記事も、詩の雑誌に掲載されたのであれば、詩人も定年を話題にしたりすると興味を引くこともあろうが、ホームページではただの個人生活の子細にしか過ぎない。わたしは自分の詩人だという意識が茫漠とした広がりの中に立たされているのを感じる。つまり、専門家意識が役に立たない。わたしとしては、これを表現の新しい局面として向かっていかなければと思うが、結構しんどいことになりそうな気がする。

(ちなみに、「曲腰徒歩新聞」のURLは、 http://www.catnet.ne.jp/srys/magekosi/magekosi.htmlです。)
 


「日本経済新聞」1998年10月18日掲載
尚、掲載文とは若干の異同があります。
極点思考1・「ホームページ」の主とは何か
極点思考0・日経掲載エッセイの影響

|HOME|
[詩の電子図書室」 [曲腰徒歩新聞] [極点思考・目次] [いろいろなリンク Links] [詩作品 Poems](partially English) [写真 Photos] [フィルム作品 Films](partially English) [エッセイ] [My way of thinking](English) [急性A型肝炎罹病記] [変更歴] [経歴・作品一覧]